籠目堂’s blog

籠目堂 啓と美紀のブログです。

パートナーシップ 〜その3〜

今日、パートナーの美紀さんと話し合いました。

 

話し合いの内容は、お金についてです。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

話の流れをざっくり説明すると、

私が美紀さんの話を聴いて想定していた美紀さんの所持金と

実際の美紀さんの所持金がかけ離れていたため話し合いになりました。

 

私は別にパートナーの所持金を常に把握していたいとか

そういう要素は全く持ち合わせていないのですが、

支払いの関係でお金の話になり、そういう展開になりました。

 

話し合いの途中から録音したので、美紀さんも了承しているので話し合い内容を掲載します。

 

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私(以下、K)

なんで(お金が)循環しないのか、考えてみたり、試してみたり、風水上の改善をしてみたり、

それで確かに流れは変わるんだけど、

そういうのも効果はあるにしても、一番重要なポイントじゃないかと思っているのがあって。

 

もともと私もそうなんだけど、「お金や色々なものが循環して豊かになる」

その前に解決しなきゃいけない問題があるからそれで止められてる気がするんだけど、最近。

 

それが何かというと、今の美紀さんもそうだし、私もそういうところがあるっちゃあるんだけど、

よく循環の話で、循環を信じてるかとか、お金の概念を軽くしなきゃとかいう話があるけど、

美紀さんは(今より)軽くする必要ないよね。

 

軽いからね、十分。

 

軽やかに軽いっていうよりも、なんていうんだろ、お金の概念が軽いっていうよりも、

例えばさっきのもそうだけど、見てない。

 

循環を信じてるっちゃ信じてるんだけど、現実をちゃんと見てない。

 

責任のない軽さ。

 

みたいなそんな感じ。

 

さっきのも帳尻は合ってるけど、

美紀さんは

「お金が今手元にこれだけあるから使ってもいいや。」

 

で、何かのために(美紀さんが)取っておいたお金を使いました。

 

また入って来ました。

 

で、元々取ってあったお金が確保できました。

 

でもそうこうしているうちに、今度は別な支払いの必要が出て来て、

そのお金がないです。

 

それでそれは誰が払うかって言ったら、私が払うわけでしょ?

 

それは払ってもいいんだけど。

 

何が問題かというと、

それで、美紀さんは、美紀さんの課題としてあった、

お金がないから例えば私からお金をもらうとか、〜代がないと言って。

ていうのは嬉しくないよね?そんなこと言うの。

 

 

美紀(以下、M)

うん。

 

K

普通に言える?

 

M

ううん。

 

K

別な言い方をすると、それをちゃんと言うのが美紀さんの課題なわけで

 

でも、なんか上手いこと取り敢えず、お金がないのを半分見て見ぬふりをして、

帳尻があったがばっかりに、それをあんまり言わなくて済んじゃったわけだよ。

 

こうやってこっちから聞かれて、しょうがなく答えたみたいに。

 

そうすると、要は、課題をクリアしてないから、

だからそこで足踏みしてることになるわけだよ。

 

と、思います。

 

どう思いますか?

 

M

はい。そう思います。

ふふふふふ。

 

K

もう一つは、お金がないとなると、

美紀さんが好きなカフェに行ってお茶を飲んだりしにくくなるわけでしょ?

資金がないと。

 

美紀さんが嫌いな、それも原因があると思うけど、

制限されるの嫌いじゃん?

ていう自由さがなくなるのが嫌なのかな?

 

なんか意見はありますか?

 

M

その通りです。

 

取調室のライトは、深い暗い闇のところまで照らすためのライトだと思ったよ。

ふふふ。

 

K

ある意味、二人で協力してるから、

どっちかからお金が入ってくればいいんだって言う考え方もできるけど、

でもそれぞれの活動をしてるわけじゃん?

そう言う意味で言うと、

 

 

まさに私も、自分が言った通りの、

あるんだから使っても入ってくるし、使ってもいいやと言う感じだったんだけど、

それは間違ってなくても、その中に課題があるのかなと思って。

 

一応、入って来るにしても、もうちょっと、ちゃんと状況を認識して、把握して、

循環を信じるにしても、ちゃんと認識をするって言うのを心がけるようにしてるから、

幾分私の方が循環してるわけでしょ?

 

美紀さんの方がどちらかと言うと止まってるわけでしょ?

 

M

ふふっ。

 

K

それで、そういう差ができても、こういう風に美紀さんに言えるわけでしょ?

 

これがこうだからこうだよとか。

 

むしろこういう状況にならずにパッとそのまま大金持ちになってたら、

「美紀さんの自由だし、循環だし。良いや。」

って美紀さんの感じに無理して合わせちゃってたかもしれないんだけど、

こういう状況になったからこそ、

「合わせたって、一緒に止まってるじゃん。」

ていう話であって、

だから合わせずに、しっかりと地に足をつけて行けるようになったから、

こういう流れも有意義な良いちゃんとした流れなんだなあと思ったという話です。

 

M

はい。

 

啓さんは根の国底の国の人だからなぁ、、、(笑)

 

K

美紀さんは制限されるのを嫌うけど、

一個重要なポイントを教えてあげようか?

 

M

うん。

 

K

飛行機は一人でポーッと飛べるけど、

凧は糸という制限がなければ落っこちるんだねー。

 

M

なるほど。

 

K

糸が切れてそのまま飛んでる凧を見たことないでしょ?

 

もし見たことあるとしたら、バズ(トイストーリーのバズ・ライトイヤー)が言うように、

「カッコつけて落っこちてる」最中を目撃しただけだよ。それは多分。

 

M

でも突風に吹かれて飛んで行っちゃうことはあるけど。

 

K

そんなものはゴミでもなんでも飛ぶじゃないか。

 

M

啓さんてたとえ話の達人だね。

 

K

かっかっかっかっかっ(笑)

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

というわけで、今日のは話し合いというより取調室でのやり取りのようでした(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パートナーシップ 〜その2〜

Keyです。

 

私は、パートナーの美紀とは喧嘩らしい喧嘩をすることがあまりありません。

 

それは、仲がすんごく良いから喧嘩しないのでしょうか?

 ・・・仲は良いですが、基本的に正反対の要素を持っているので

    意見が食い違うことはよくあります。

 

それでは、二人とも我慢しているのでしょうか?

 ・・・二人とも我慢はできるだけしないようにしています。

    まあ二人とも後者ですし(美紀は半分前者だと主張してますが(笑))、

    片付け苦手とか、苦手科目は似てるので、

    そういうところでは多少どちらかが我慢して片付けるとかはありますけど。

    二人の関係性においては基本的に我慢はしないです。

 

 

 

例えば、うちの庭に草が全然生えていないとしたら、なぜだと思いますか?

 

草の生えない庭?

 ・・・土である限り、そんな庭ないです。

 

除草剤?

 ・・・撒く気ありません。

    そんなの撒くくらいなら、草ボーボーの方がいいです。

    そして実際のうちの庭の草も比較的元気に生い茂っております(笑)

 

 

話を例え話に戻せば、もし庭に草が見当たらないとしたら、

それは、草が目立たないくらい小さいうちに全て抜いているからです。

 

それと同じで、

私たちが喧嘩らしい喧嘩、つまり激しい喧嘩をしないのは、

喧嘩と呼べるレベルになるより前の段階で話し合いをするからです。

 

説明を聞けば「なあんだ」と思うようなことかもしれませんが、

結局のところ、これが全てと言っていいくらい大事なことです。

 

それから、誤解のないように書いておきますが、

別に喧嘩をしたっていいんですよ。

 

喧嘩がいけないというわけではありません。

 

喧嘩であってもなくても、話し合いが重要ということです。

 

ただ、私たちは我慢せず、

心の中に引っ掛かりを感じれば話し合いをする、

というのを丁寧に実践し続けていたら、

結果として喧嘩らしい喧嘩にならなかったという話です。

 

そして更に、話し合いを繰り返すうちに、

徐々により小さい引っかかりに気づくようになり、

その小さい引っかかりについても話し合っていたら、

どんどん二人の間のエネルギー循環もスムーズになって来ました。

 

逆に心の中の引っかかりを放っておくと、

それがとても小さな引っかかりであっても

エネルギー循環がストップするので、

話し合いが必要であることが分かります。

 

ちなみに、私は今でこそこうして話し合いをたくさんする関係を美紀と築いていますが、

これまでの色々な人間関係ではほとんど話し合いをすることはなかったですし、

我慢によって成り立つ人間関係も知っているので、

話し合いのない人間関係、我慢で成り立つ人間関係がどうなるのかも体験したことはあります。

 

しかも、令和になってから格段に想念や意識の重要度が増しているので、

なおさら自分の心の中の引っかかりに正直になることが重要だと感じています。

 

そしてまた、それは、相手の心の中の引っかかりを受け止めるためにも必要なことです。

 

 

ひつくの神の言葉 18

ひつくの神を呼んで、伝わって来た言葉を記します。
 
10月24日の分です。
 
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あまかけるりゅうの
ついぞかけたるはしは
このおおふねをわたしけり
そののちやまとのみあらかつかえをめしださん
たまのたえなるみはたらき
そのしらべにぞよいしれば
おのずとみちはひらかれん
おおむうつくしみをあらわしたまえ
 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 
 
天翔ける龍の
ついぞ掛けたる橋は
この大船を渡しけり
その後大和の御殿仕えを召し出さん
玉の妙なる御働き
その調べにぞ酔いしれば
自ずと道は開かれん
大愛を現し給え

 

パートナーシップ

鳳凰は瑞鳥

つまり吉祥な鳥です。

 

そして鳳凰にはもう一つ重要な要素があります。

 

鳳凰という呼び方が一般的ですが、

鳳は雄であり

凰は雌であり

鳳凰と呼ぶのは雌雄合わせて呼んでいることになるということです。

 

でも実際のところ、鳳とか凰とか呼ぶことはあまりなく、鳳凰鳳凰ですよね。

 

ということはある意味、

「雌雄合わせて一つの存在として認識されている」

とも捉えられるわけです。

 

それは、我々人間のパートナーシップにおいても重要な要素であると思います。

 

パートナーの男女が合わせて一つの存在と見做せると、

パートナーシップにおける調和が実現しやすくなります。

 

というわけで、これからパートナーシップについても発信していきたいと思います。

 

 

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わたしはわたしを生きればいい

こんにちは。

 

Rahyこと、美紀です。

 

 

SNSっていろんな発信があって面白いです。

 

でも、最近ふと思ったことがあります。

 

影響力のある方の発信を見て、

 

あの人が言ってるからそうしなきゃいけない。

 

あの人が発信してるからそれが正解。

 

 

そんな風に思っていた時期がありました。

 

 

でもそれは、わたしではないあの人の場合なわけで、

わたしも同じかって言うと同じじゃない。

 

 

自分を確立して、自分の人生を生きることがとても大事だなぁと思いました。

 

 

それぞれの役割があって成り立つ世界なんだよね。

 

 

 

 

わたしを生きることにフォーカスすると、スルスル〜っと気持ちいい流れになっていきます。

 

 

最近は、オーガニックコットンに流れていき、この度商品を扱うことになりました。

 

 

オーガニックコットンの衣が気持ち良すぎてしあわせを噛み締めています♡

 

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オーガニックコットンのムートンは初めて着ましたが、とんでもなく気持ちよくて、静電気も発生しません。

 

肌触りにうっとりです♡

 

 

 

そして今、プロジェクトが始まり出しました。

 

 

それは、長野でオーガニックコットンを栽培して気持ちいい衣を作る。

 

藍で染めて気持ちいいスペシャルな衣を作る。

 

 

畑が役割の人

糸を依るのが役割の人

生地に織るのが役割の人

裁縫が役割の人

などなど

 

そんな役割を集めて、気持ちいい衣を作りたいのです。

 

 

自分の人生を生きてる人たちと

気持ちよく仕事をしたいのです。

 

そんな方達とどんどん繋がり始めました。

 

興味ある方は是非繋がってくださいね❣️

 

 

 

そして、10/27(日)はこちらのイベントに出店します♪

 

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ホムスタかがやきマルシェ】

10:00〜15:30

 

@ホームランスタジアムNAGANO

長野市尾張部77

 

是非遊びに来てくださいね❣️

 

 

ありがたや。

プロフィール その10〜信仰〜

Keyです。

 

私の中の、一般的に言うところの信仰心、あるいは信心深さみたいなものは、

昔は今とは違うカタチでした。

 

 

ある時期までは、

「神仏は尊び、神仏に頼らず」

という宮本武蔵のような信条を持っていました。

 

いつから変わり始めたか記憶を辿ってみると、

ルドラークシャ(金剛菩提樹の実)に強い関心を持つようになってからだと思います。

 

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ルドラークシャは特に、シヴァ神との繋がりの深いものとして知られています。

 

それで私は、シヴァ神との縁が深いこともあり、

ルドラークシャに強い関心を持つようになりました。

 

初めは、「神仏は尊び、神仏に頼らず」という信条だったので、

ルドラークシャに力があるとしても購入しようとは思っていませんでした。

 

神仏に関わる神聖なアイテムにも頼らずに、

自分の力だけでやっていきたいと思っていたのです。

 

しかし、ある時ふと思ったのです。

 

「生きている中で、様々な人に会い、その影響を受けて成長したりすることがある。

 それは特に問題のあることではないし、避けるべきことでもない。

 ならば、その相手が人ではなくルドラークシャという木の実でもいいではないか。」

 

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それからしばらくすると、ルドラークシャのみでなく

入魂されているシヴァリンガムや神像、

入魂されているヤントラ等、

色々なものを購入するようになりました。

 

そのようにしてインドの神々の礼拝が始まりました。

 

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現在、私が礼拝している神々は主にインドと日本の神々で、

多数の神々を礼拝していますが、

礼拝する神々は手当たり次第に増やしたわけではありません。

 

その時その時で内観に従って礼拝を始めるうちに、どんどん増えてきたという感じです。

 

私自身も「どこまで増えるのだろう?」と思ったこともありますが、

ある時直感的に「これは今、立体曼荼羅を作ろうとしているのだ。」と感じてからは、

安心して内観に従っています。

 

 

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そのようにして礼拝し、

また寺院や神社に参拝し、

自然の中の磐座を拝み、

あるいは瞑想するなどしている中で、

徐々に様々な神々のエネルギーを体感するようになりました。

 

観念的に信仰するのではなく

エネルギーを体感し覚知するというのは重要なポイントです。

 

その存在のエネルギーを体感して認識して関わるということは、

ある意味では人と関わることと同じということです。

 

エネルギーの純度や質の関係で、もちろん差はありますが。

 

それでも、基本的には対等な関わりであるという意識があります。

 

ある意味では人と関わることと同じとは言っても、

好きな人、尊敬している人との関わりのようなものなので、

敬意を持って関わります。

 

その上で、例えば、

神々には時間や空間の制約がないから出来るけれども

肉体を持っている私には出来ないことがあり、

神々には時間や空間の制約がないから出来ないけれども

肉体を持っている私には出来ることがあり、

それゆえ相協力することで動き出す物語があって、

私は御神事をしたりするのです。

 

 

 

 

 

 

巡礼記 〜奈良〜・・・その1 & 護神刀

Keyです。
 
奈良に着いたのは夕方で、お泊まりさせて頂いた宇陀の報恩寺さんに着く頃にはすっかり暗くなっていました。
 
報恩寺のご住職の天音さん御夫妻とはMikiは面識があったのですが、
私自身は初対面でした。
 
この日は奥様の美味しい手料理を食べさせて頂きながら色々楽しくお話ししました。
 
それから、翌日の瞑想会に備えて早めに就寝しました。
 
 
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瞑想会は午後からだったので、翌朝はまず、室生龍穴神社に向かいました。
 
ここは前々からずーっと行きたかった場所です。
 
車を駐車してから鳥居の方に向かって歩いていると、
一人の年配男性に会いました。
 
挨拶すると、色々と親切に教えてくれました。
 
吉祥龍穴への行き方も教えてもらったので、
その後迷うことなく吉祥龍穴へも行くことができました。
 
そしてこの男性、この辺りでは有名な方だそうで、
 
室生寺の中村で検索してみてください。」
 
とおっしゃっていたので検索してみると、写真の方でした。
 
 

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次回は室生寺にも行ってみたいと思います。
 
 
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鳥居をくぐると、龍神系のいい感じのエネルギーが降り注いでいる感じで、
気持ちがウキウキしました。
 
濃厚な感じの連理の杉もありました。
 

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ここに来た当初の思惑としては、
龍に縁のある場所で以前から来たかったから来ただけで、
イザナミの繋がりはないだろうと思っていました。
 
ところがどっこい、大ありでした。

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高龗神は龍であるというくらいの認識しか今まで持っていなかったのですが、
迦具土神が斬られた時に生まれたとのこと。
 
迦具土神(かぐつちのかみ)とは火の神で、
イザナミイザナギの子とされていますので、
高龗神はイザナミと深い関係があるということになります。
 
しかも、「水火を司る威徳を具え給ひ」と書いてあります。
 
これを読んだことで、内観に感じたことがあります。
 
今まで私は、イザナミの御神事として、イザナミの子宮に火を返すということをしてきましたが、
次にすべきはその火の性質と子宮の持っている水の性質を調和させること。
 
そして高龗神の“水火を司る威徳”がまさにそのために必要であること。
 
さらに言えば、その火と水の力によって、
火水=かみ=神 を生み出せること。
 
が感じられました。
 
 
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吉祥龍穴に向かう途中に、天の岩戸がありました。
 
車を停めて岩戸に向かいました。
 
観てすぐに、
この磐座はイザナミの子宮に通じていると感じられました。
 
そして早速、御神事となりました。
 
この岩戸の間、イザナミの子宮の中に
ジャールゥドラゴン・エネルギーワークで龍=高龗神のエネルギーを降ろしました。
 
 
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それから、吉祥龍穴も拝み、
瞑想会の開催地である桜井市聖林寺さんに向かいました。
 
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そして、下記のことは、
移動中、内観に感じたことです。
 
イザナミの御神事でイザナミの子宮に龍のエネルギーを降ろしたことで、
次に私がすべきことが見えてきました。
 
それは、
刀剣を生み出す際に火と水のエネルギーが合わさる焼入れの工程で
イザナミの神生み(=火水生み)の力を活かして、
護る神の刀  護神刀 〜ごしんとう〜
を生み出すこと。
 
つまり、イザナミとの共同創造です。
 
護神刀の詳細についてはこちらを御覧ください。