対話
ヤンチェンマ・ヤントラの価格をどうしようかと思い、昨日の朝の瞑想中にいくつかの価格の候補を浮かべて、どれがピンとくるか確かめようとしていました。
すると突然、数字が浮かびました。
「2」
「4」
ヤンチェンマさんのエネルギーも感じられ、ここから対話のような感じになりました。
K「24,000円?」
ヤ「そう。」
K「(候補にしていた価格よりだいぶ安かったので)もしかして42,000円かも・・・」
ヤ(無言でふるふるふるふるふると首を横に振る感触)
K「はい。24,000円ですね。」
ヤ「そう。」
(Keyの心の中を察して、更に続ける。)
ヤ「このくらいの値段なら多くの人が買えるから、私が広く活動できるようになる。
そしてこれは修行。だからたくさん作る方が良い。
たくさん作れば絵もどんどん覚えるし、私とも繋がりやすくなる。」
K「わかりました。」
私はヤンチェンマさんの声が聴こえているわけではないので、
ここに書いたセリフは意識体での対話を言語に翻訳した感じです。
そして今回は、姿を描くことでアクセス回路ができた人格神とのコミュニケーションということもあり、
神格のエネルギーそのものとのダイレクトなコミュニケーションよりは
より分かりやすい対話感がありました。
ただ、夜にまた瞑想して実感したのですが、人格神にアクセスすると瞑想の質としてはいくらか具象的になります。
それでその状態から、瞑想を深めるための抽象度の高い状態に移行しようとすると負荷がかかります。
それはどちらが良い悪いでなく、どちらも体験する必要を感じていますが、
負荷がかかるということは注意していないと具象的な瞑想に偏ってしまうということです。