敗けを避けるのをやめる
皆様、こんにちは。
Shaeronです。
仕事の都合で落ち着いてブログを書いている余裕がなく、だいぶ久しぶりになってしまいました。
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さて今日、内観していて気づいたことがあります。
それは自分が、
‘‘無意識のうちに敗けを避けていた’’
ということ。
例えば、物事の捉え方は何通りもあって、
どれか1つだけが正解というわけではなく、
どれを選ぶことも出来る場合があります。
そういう時に、自覚せずに‘‘自分に不利な捉え方’’を避けていたということです。
それは何も、自分に不利な捉え方を率先して選べば良かったと言っているわけではありません。
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男性性(女性の中の男性性を含め)は、強さを求める傾向があります。
そしてその傾向が、敗けを避けるという方向に行ってしまうことが往々にしてあります。
しかし、これからの時代に本当に必要な強さは、
‘‘他者を打ち敗かす強さ’’ではなく、
‘‘敗けを受け容れられる強さ’’だと感じます。
それはもちろん、勝負で進んで敗けましょうとか、そういう意味ではありません。
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敗けを避けてしか物事を捉えられないとすれば、
それは本当の自由ではありません。
敗け、即ち自分にとって不利な捉え方を受け容れる。
まずは、その捉え方も感じてみる。
感じたなら、どれを選ぶのも自由です。
その選択に応じた結果が得られるだけです。
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敗けを避けるのをやめた時にはじめて辿り着ける‘‘調和’’というものがあります。