想念の現実化について
想念の現実化が最近どんどん活性化しているのを感じます。
個人的な流れだけでなく、時代の流れみたいなのもあるので、そう感じている方は多いことと思います。
それで、これは想念の現実化について、前々から時折思うことなのですが・・・
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想っていることが現実になる。
それは、顕在意識で認識出来ていない想いも含めて。
というのは実感としてどんどん深まっています。
が、それが確信されればされるほど、
その反対に、
“これから現実となることを想っている。”
“現実となり得るから、想い得ている。”
ということもまた見逃しようがないと感じています。
ただしそもそも、肚の底から本当に想うのと、表層的に思い浮かぶのは違うというのは考慮しなくてはなりませんが。
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“現実となり得るから、想い得ている。”というのは、つまり、現実化出来ないことは“想えない”ということになります。
ただ、誤解しないでいただきたいのですが、それは、現実化に制限が課されているということとは少し違います。
例えば、現実化したかったけれど“想えないこと”は、「それは最善ではなかったから想えないのだ」と納得出来るのならば、別な現実化したいことに取り組むのが早まるサポートとなります。
あるいは、“想えない”けれども、どうしても望んでいる現実化であるならば、もう一つの可能性を採用すれば良いのです。
それはつまり、今それを想えなかっただけで、適切なプロセスを経れば想えるようになる可能性です。
今“想えない”のは、あくまでも「今ではない」というサインであり、ずっと想えないとは限りません。
もちろん、ずっと想えない可能性もあるのですが、
それはその現実化を「適切ではないこと」と“本当に想えるか”で判断できます。
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想えないということを今ではないというサインと捉えるならば、
今想えることを探すことで、
次のステップが分かります。
そしてそれを繰り返していけば、たどり着けます。
最善の現実へ。