女神について 〜その2〜
Keyです。
いつか何か続きを書こうかなとは思っていましたが、
今日早速‘‘続き’’を見せられたので書いています。
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前の記事「女神について」で、女性の子宮の中に女神がいるという話を書きましたが、
男性の中にも女神はいます。
女性の中にも男性の中にも、女性性と男性性の両方があるわけですから、
男性の中に女神がいても自然なわけです。
それにそもそも、人間の中にあるクンダリニーと呼ばれるエネルギーは、
蛇の姿で眠っていると言われていますが、
そのエネルギーが覚醒すると女神に戻るわけですから、
このことからも女神の存在は万人に共通の要素です。
女性の中の女神について
「この‘‘力を蓄えて個性を発揮’’するというのは、
女性の核心としての女神性がその女性自身によって尊重されている場合の話です。」
と前の記事で書きましたように、
女性が自分自身の中の女神性を尊重することが重要なのですが、
それには周りからの対応ももちろん影響してきます。
そういう意味で、私は女性と関わる時には、中でも特にパートナーとの関係においては、
その核心としての女神性を尊重することを心がけているのですが、
今日の出来事の中でその中にある1つの課題に気付きました。
女性が感受性が高く繊細であるのと同じで、女性の中の女神も繊細です。
なので、女性と関わる際には繊細な留意が必要だと感じてきました。
が、今日の出来事の中で気付いたことというのは、
男性が女性と関わる際に繊細な留意が必要とは言っても、
女性を気遣うあまりそこに自己犠牲的な献身という要素があると問題になるということです。
なぜなら、それをすると男性の中の女神が機嫌を損ねるから。
特に親密なパートナーとの関わりの中では、
‘‘女性の中の女神’’と‘‘男性の中の女神’’の両方が喜ぶような関わり方を模索する必要があります。
そしてそれは、パートナーとの関わりにおける‘‘循環’’のために必要な要素だと感じています。