女神について 〜その6〜
2年前の冬至の日、その存在は、やって来ました。
女神‘‘サティー’’
その存在が名乗ったわけではありません。
姿が見えたわけでもありません。
しかし、エネルギーとして来訪したのを確かに感じ、
その存在がヒンドゥー教の神話でシヴァ神の最初の妃とされているサティーであることを直感しました。
さらに、言葉が聞こえたわけではないですが、バイブレーションとして意思も感じられました。
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と思ったのですが、サティー像は見つかりません。
サティー女神の生まれ変わりとされているパールバティ女神像はあっても、
明らかなサティー像というものが見つかりません。
そこで、絵を描いて像をオーダーすることにしました。
ある夜、どのような姿にするか考えている時に、またサティーがやって来ました。
そして翌朝、サティーのエネルギーが私の中に入り、そのエネルギーの感触と動きからサティー女神の姿を決めました。
そこから紆余曲折あり、去年の冬至からサティー像を礼拝し始めました。
サティー女神のエネルギーを直接礼拝するという選択肢を考えたこともありましたが、
今では物質的な型を通すことの意義も知ったので、
やはり像が必要だったのだと改めて思っています。
ちなみに、私にとっての礼拝とは、崇め奉ることではなく、
礼拝対象のエネルギーを活性化して喜んでもらうことです。
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サティー女神の本来の姿は、原初の宇宙の女性性の女神であり、
また祭祀の女神でもあります。
しかし、一般的な神話の中で描かれているサティー女神の姿は、
「社会の中での女性性」の位置付けの影響を多分に受けて、
その本来の姿から少しずれてしまっているように、私は感じています。
そして、だからこそ、2018年の冬至の今日、この話をこうして公の場に書いているのだとも思います。
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今日はきっと、とても大きな時間の流れの中で、陰が陽に転ずる時。
そしてそれは、‘‘女性性’’が本格的に本来の力を取り戻し始める時だと感じています。