籠目堂’s blog

籠目堂 啓と美紀のブログです。

男神について

ふと思い立ったので、男神について書いてみたいと思います。

さて、これまで女神についてと題していくつか記事を書いて来ましたが、女神についての記事を書いてから男神についての記事を書くというこの流れにも意味があるように感じています。

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女神にも色々な現れ方があるように、男神にも色々な現れ方があります。

男神的要素の重要なものの1つとして、
「意思決定をして実行に移そうとする意識」
というものがあります。

それと対になる女神的要素としては、
「欲求」
があります。

欲求という表現はだいぶ幅が広く、魂的な深い欲求から、表層的な浅い欲求まで様々です。

欲求の浅い深いはさておき、まず欲求を感じて受け取り、
それに伴って意思決定をして実行に移すというのが、
自然な流れだと思います。

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これは私の解釈ですが、イザナギノミコト(男神)とイザナミノミコト(女神)の神話はこの良い例だと感じます。

男神と女神がまぐあう前に、初めはまず女神から男神に声をかけてまぐあうと蛭子神が生まれ、
別天津神に女神から誘ったのが良くないと言われ、
今度は男神から女神に声をかけてまぐあい、国が生まれた。』

ザックリ書くと、こういう神話です。

この話をストレートに読むと、
「女神から男神を誘ったのは間違いであり、次に男神から女神を誘うことでそれを正した」
ということになるかと思います。

が、私はそうではなく、
「まず女神から男神を誘うのは、‘‘欲求を受け取る’’ということの女神的要素から順当な流れであり、
つまり、この神話は、
‘‘間違いを正した’’ということ言っているのではなく、‘‘女神から男神、そして男神から女神’’という順当な流れを示している」
のだと感じます。

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これが、もし逆であったらどうなるかと考えてみると、

「意思決定をして実行に移そうとする意識」という男神的要素の裏側にある、
「志を達することを妨げる‘‘欲求’’を制限しようとする意識」が優位に働いて、
女神性の持つ力が充分に発揮できなくなるのではないかと思います。

何かをこの世界に現すためには、女神性と男神性のバランスが大事なのだと感じています。

ただそれを実践しようとする場合、
女神と男神の循環は、多かれ少なかれ全ての人の中で既に起きていることなので、
実際には「どちらから始めるか」ということではなく、
卵が先か鶏が先かというどちらとも言えるようなサイクルに意識的に区切りをつけることに似ている気がします。